大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所豊橋支部 昭和42年(わ)347号 判決 1973年3月30日

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は

被告人は郵政事務官であつて、一般職の国家公務員として豊橋郵便局に勤務しているものであるが、昭和四二年四月二八日施行の豊橋市議会議員選挙に際して、別紙一覧表記載のとおり同月一八日午前一一時五〇分ごろから同日午後零時五五分ごろまでの間、豊橋市関屋町一〇九番地朝倉澄一郎方居宅南表出入口東側戸袋外一二ケ所に、右選挙に立候補した候補者和出徳一の公職選挙法第一四三条第一項第五号所定の選挙ポスター合計二〇枚を画鋲で貼付して掲示し、もつて特定候補者を支持し、政治目的のために人事院規則で定める政治的行為をなしたものである。

というのである。

右事実は関係証拠により十分これを認めることができる。すなわち<証拠・略>を総合すると次の如き事実が認められる。

(1)  被告人は昭和二三年ごろ豊橋郵便局に事務員として採用され、同二五年ごろ国家公務員の一般職としての郵政事務官として任命され、引きつづき豊橋郵便局に勤務し、昭和四二年四月ごろは同郵便局貯金課団体積立係員として、郵便貯金取扱規程(郵政省昭和四一年公達第四三号)四八条五二条ないし五八条、七〇条ないし七二条に詳細に規定している取扱方法に従つて団体積立貯金集金係の外務員が集金に赴く際の集金票の引渡し、集金後の集金票(現金は除く)の取りまとめ、その際の集金授受簿の記帳、集金票の保管という、内勤のまつたく裁量の余地のない非管理職の職務に従事していたものであること

(2)  被告人は同年四月一八日年次有給休暇を得て、すなわち職務時間外に、別紙一覧表のとおり、豊橋市議会議員選挙(昭和四二年四月二八日施行)立候補者和出徳一を当選させる目的で、その選挙ポスターを各貼付場所管理者の許可を受けて貼付して廻つたものであること

以上の事実が認められ、被告人の右所為中、公訴事実に該当する部分は国家公務員法(以下単に国公法という)一一〇条一項一九号、一〇二条一項、人事院規則(以下単に人規という)一四―七、五項一号、六項一三号、人規一四―五、一項四号に該当することは明らかである。

しかし弁護人は右国公法一一〇条一項一九号、一〇二条一項および人規一四―七の右各規定は憲法二一条に違反し、無効である旨主張するので、この点について判断することとする。

二、まず現行の国公法一一〇条一項一九号、一〇二条一項、人規一四―七をみると、国公法一〇二条一項において「職員は政治目的のため―中略―選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない」とし、右委任にもとづく人規一四―七は「政治的目的」と「政治的行為」の組合せによる極めて広範な行為(勿論、本件の如き公職立候補者を当選させる目的でポスターを掲示することも含まれる。)を禁止行為としてかかげ、その適用範囲についても、職員の範囲につき「臨時的任用として勤務する者、条件付任用期間の者、休暇、休職又は停職中の者及びその他理由のいかんを問わず、一時的に勤務しない者をも含むすべての一般職に属する職員に適用する」(同規則一項本文)としておよそその職務内容の如何をとわず適用される趣旨を示し、さらに「法又は規則により禁止される職員の政治的行為は第六項第一六号(注―勤務時間中の腕章等の着用、表示の禁止)に定めるものを除いては、職員が勤務時間外において行なう場合においても適用される。」(同規則四項)として勤務時間の内外を問わない趣旨を明確にしており、又同規則六項一号は「政治的目的のために職名、職権又はその公私の影響力を利用すること」を政治的行為として禁止し、私的行為もその範囲内にあることを予定した規定方法をとり、以上の適用範囲に入る行為を行なつたすべての国家公務員に対し国公法一一〇条一項一九号により一律に三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金という比較的重い刑罰をもつてのぞんでいることからして、その政治的活動を禁圧していることが明らかである。

三(1)  右の諸規定中、基本となる国公法一〇二条一項についてはすでに最高裁判所において右規定を合憲とする旨の判決(最高裁判所昭和三三年三月一二日判決最高裁刑集一二巻三号五〇一頁、同旨、最高裁判所同年四月一六日判決最高裁刑集一二巻六号九四二頁)が存するので、両判決の合憲とする理由をまず検討することとする。

両判決はいずれも「およそ公務員はすべて全体の奉仕者であつて一部の奉仕者でないことは憲法一五条の規定するところであり、また行政の運営は政治にかかわりなく、法規の下において民主的かつ能率的に行なわれるべきものであるところ、国家公務員法の適用をうける一般職に属する公務員は、国の行政の運営を担任することを職務とする公務員であるから、その職務の遂行にあたつては厳に政治的に中立の立場を堅持し、いやしくも一部の階級若しくは一派の政党又は政治的団体に偏することを許されないものであつて、かくしてはじめて一般職に属する公務員が憲法一五条にいう全体の奉仕者であるとの所以も全うせられ、また政治にかかわりなく法規の下において民主的かつ能率的に運営せらるべき行政の継続性と安定性も確保されるものといわなければならない」「この点において一般国民と差別して処遇されるからといつてもとより合理的根拠にもとづくものであり、公共の福祉の要請に適合するものであつて、これをもつて所論のように憲法一四条に違反するとすべきものではない。」との理由で、国公法一〇二条一項を合憲とする判断を示したのであるが、他方表現の自由を定めた憲法二一条との関連についてはまつたく触れるところがなく、この点についてはなお検討の余地が存するものと認められる。

(2)  憲法二一条の保障する表現の自由の一内容であると考えられる政治活動の自由は憲法の保障する各種の自由権のなかでもとりわけ国民すべてにとつて重要なものと考えられる。議会制民主主義の機構は選挙による代表の選出、その代表の構成する議会による立法、重要な政策決定を基本的な柱とするものであつて、代表の選出、議会の運営が適正になされるか否かがその国あるいは国民の運命を左右するといつても過言ではないほどのものである。その適正さを保障するためには、国民の間の政治的活動の自由が十分保障され、その結果政治的選択が巾広く国民の前に示され、国民の政治意識、政治的素養の向上がはかられ、又代表選出後の議会への有効な助言、批判等がおこなわれることが必須の要件であると考えられ、従つて政治活動の自由が十分保障されてはじめて民主主義の精華が期待し得るともいえるものである。

このように重要な権利は国民すべてに等しく保障されるべきもので特に国家公務員が以前と異なり、国家の性格の変化―福祉国家への要請―に伴い、各方面への国家の積極的な授助、介入、指導等がおこなわれるようになつて、必然的に国家の機能が拡大、多様化した結果、今や一般職の国家公務員のみで四九万人余(昭和四六年度総理府人事局国家公務員在職状況統計表による)に達し、現在その職務内容も千差万別で、いわゆる現業公務員のなかには一般民間企業従業員と実質的になんら異ならない職務を担当するものも多数存している以上、国家公務員であるとの理由のみで、一律に政治活動のすべてを禁止するが如きことは憲法の予想しない事態であつて、仮に政治活動の自由を制限すべき理由があるとしても、その実質的理由に触れる場合のみ禁止すれば足り、国家公務員といえども一般国民としての面をもつ以上、政治活動の自由は原則的に十分尊重されなければならないものと考えられる。

(3)  さきに最高裁判所は公務員の労働基本権の制限に関し「憲法二八条はいわゆる労働基本権、すなわち勤労者の団結する権利を保障している。この労働基本権、すなわち勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利を保障している。この労働基本権保障の狙いは、憲法二五条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、一方で憲法二七条の定めるところによつて、勤労の権利および勤労条件を保障するとともに、他方で憲法二八条の定めるところによつて、経済的劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等を確保するための手段として、その団結権、団体交渉権、争議権を保障しようとするものである。このように憲法自体が労働基本権を保障している趣旨にそくして考えれば、実定法規によつて労働基本権の制限を定めている場合にも、労働基本権保障の根本精神にそくしてその制限の意味を考察すべきであり、ことに生存権の保障を基本理念とし、財産権の保障と並んで勤労者の労働権、団結権、団体交渉権、争議権の保障をしている法体制のもとでは、これら両者間の調和と均衡が保たれるように、実定法規の適切妥当な法解釈をしなければならない。右に述べた労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員や地方公務員も憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される。『公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない』とする憲法一五条を根拠として、公務員に対して右の労働基本権をすべて否定することは許されない。ただ公務員またはこれに準ずる者については後に述べるように、その担当する職務内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を内包しているにとどまると解すべきである。」(最高裁判所昭和四一年一〇月二六日判決最高裁刑集二〇巻八号九〇五頁から九〇六頁)と判示し、さらに同じく公務員の労働基本権の制限について判示した最高裁判所昭和四四年四月二日判決(最高裁刑集二三巻五号三〇五頁)は右前提にたつて、労働基本権を制限する規定が違憲であるかどうかの問題は「労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように十分な配慮」をして判断しなければならないと述べ違憲判断の基準を示しているのである。

本件で問題となるのは公務員の政治活動の自由であつて勿論労働基本権と同一の性質、内容をもつものではないが、公務員を一般国民と区別してその権利を制限する場合の考え方としては、以上両判決の趣旨を十分尊重すべきものと考えられる。

すなわち双方とも憲法で保障された重要な権利であつて、他の代替措置によつてその権利を保障した趣旨を償うことが困難な場合であるから、原則的に国民すべてに等しく保障されるべきもので、国家公務員であつても「全体の奉仕者」論をもつて右の諸権利の保障が基本的に排除されると考えるべきものではないこと、その権利の制限の理由が十分具体的で合理的である場合にもかような権利の制限違反に課せられる不利益は必要最少限度にとどめるべきであることの二点が配慮されなければならないことは明らかである。

(4)  そこで国家公務員の政治活動を制限すべき理由について考究するに、前記最高裁昭和三三年三月一二日判決に述べるごとく、国家公務員の政治的中立性を確保することはこれによつて「行政の継続性と安定性」をはかることにあると考えられる。敷衍するならば、国家公務員は国の行政の運営、執行を担当し、権力の行使にあたるものであり、特にいわゆる高級公務員のうちには政策の立案決定権、あるいは権力の行使についてのかなり広範な裁量権を有しているものもあり、一方現在わが国内における各種の政治的主張がすこぶる多岐にわたり、その間の衝突も激しく、その主張には特定の地域的もしくは集団的利益の代弁として発せられるものも少からずあり、前述の高級公務員の職務と結合した場合には法の下にすべての国民に平等に執行されるべき行政が一部の利害にひきずられる弊害を生ずること、すなわち行政が国民の一部の利益、不利益に運用され政治的衝突の原因となつて、行政の継続性、安定性が害されることもあり得るので、これらの弊害を防止し、行政の公正な運営、執行を守るために国家公務員の政治的中立性が要請されるというべきである(行政の継続性、安定性を我国ではさほどの弊害が指摘されないところのいわゆる猟官制を防ぐ意味に解すべきではない)。従つて、国家公務員が議会で制定された法律の具体的執行者として、一般国民と異なる地位にある以上、その権限行使が国民に対し公正におこなわれるよう配慮することはもとより必要なことであるから、この理由からする制限は合理的なものと考えられる。なお、この政治活動の自由を制限する理由として国家公務員の職務執行の実質的な公正さそのものではなく、公正らしさに対する国民の信頼にあるとする見解も存するが(例えば東京地裁昭和四四年六月一四日判決)、この外見的公正さを確保するためには、結局公務員としての地位にある以上、職務内容、公私の別なくその一挙手一投足が国民から注視されているとも言えるわけであり、そのためあらゆる場面でのすべての政治活動を規制するという方向に進まざるを得ないことになり、結局右見解は国家公務員との理由のみで政治活動を一切禁止する考え方と結果的に同一となるので容易に右見解には賛同し難いものがある。

叙上のとおり、国家公務員の政治活動の自由を制限する実質的理由が「行政の公正な運営、執行」という点に存するとした場合、その具体的制限の方法、程度を考えるにあたつては前記の如く、国家公務員にも政治活動を保障すべき趣旨をも考え合わせて次の諸点を十分考慮すべきである。

第一に、職務内容が公正さを害するおそれがないか、あるいはいちじるしく少ないものの政治活動はこれを制限すべきではない。すなわち国の権力行使を直接担当する職務、あるいは国の重要な政策決定に影響のある職務、いわゆる管理職などある程度裁量権を有する職務等にある者については問題があるが、非管理職であつて機械的労務を提供する現業公務員については、その職務権限上、通常行政の公正さを害するおそれがないと考えられるので、原則として政治活動の自由が認められるべきである。第二に、政治活動をするにあたつて自己の職務執行を利用したり、公の施設、設備を利用したり、勤務時間中であるなど、職務の公正を害する目的を有するとみられる場合には、問題があるが、逆に、私的に職務時間外に公の設備を利用せずに行なう職務の公正を害する意図の認められない行為については行政の公正な運営、執行を害するおそれのない行為として、これを禁止すべきではない。

(5)  前記(4)の基準に照らし、再び国公法一〇二条一項、一一〇条一項一九号、人規一四―七を検討するに、これらの規定はこれまで述べたごとく、その弊害のいちじるしく少ない行為をも禁止行為に含め、一律に重い刑罰を加え得るとしていると認められ、憲法二一条の保障する政治活動に対する制限として広範にすぎ、かつその違反に対する制裁が必要最少限度を超えているものと言わざるを得ない。

(6)  しかし法律の規定はいうまでもなく合憲性推定原則に則り、可能な限り憲法の精神に即し、これと調和し得るように合理的に解釈されるべきであるから、この見地からすればこれらの規定の表現のみに拘泥して直ちに違憲と断定することは即断の譏りを免れないので、国公法一一〇条一項一九号の処罰規定の構成要件となる国公法一〇二条一項、人規一四―七が右の見地からいわゆる合憲的解釈が可能であるか否かを次に検討することとする。

前記の如く人規一四―七は「政治的目的」と「政治的行為」の組合わせによつて極めて詳細な禁止行為をかかげており、これを例えば被告人の如き銀行員と実質的に異ならないような非管理職であつて、機械的労務を提供する現業公務員についてはその職務時間外の政治活動には適用されないと解釈して排除することは、あまりに人規一四―七の規定の文言から離れすぎており、通常の常識的人間がその文言を読んで一応その内容を理解し得るように規定している犯罪構成要件の解釈としては無理があり、むしろ人規一四―七の詳細な規定方法は限定解釈を加える余地をほとんどなくしているというべきである。仮にその規定文言を通常の常識人が理解する意味内容と異なつて理解することを強いるとすればそれは解釈の範囲を逸脱し、裁判による新たな立法との非難を免れないこととなる。

従つて以上の規定は合憲的解釈をほどこす余地は極めて少ないものであると言わざるを得ない。

然らば以上の規定が必要以上の制限を加えていると判断される場合に、規定全体を違憲無効なものとすべきか、被告人の如き行為に適用される範囲のみで違憲とすべきものかについて検討しなければならないが、この点に関しては表現の自由の如き民主主義社会に基本的な権利を刑罰をもつて制限する場合には、その対象となる行為に関する規定の重要部分に瑕疵があり、本来制限すべき場合以上のものをも処罰するが如き規定を含み、その制限される行為の限界が不明確な場合には、たとえその規定の一部に合憲的な部分があつても全体として違憲無効な規定と解するのが相当である。

先進民主主義諸国(英、米、独、仏等)において、我国ほど広範囲に公務員の政治活動を制限し、その違反に刑罰を加える立法例がみあたらないこと、さらに国公法の制定経過、すなわち現行国公法が米軍占領下の異常な事態の下に占領軍総司令部からの強力な再三の指示により、旧国公法のゆるやかな規判をより厳格なものにするよう発案がなされ、その規定方法も米国のいわゆるハッチ法にならつて考えられ(もつともハッチ法は刑罰規定を欠いている。)、国会でも十分な審議を経ることもなく、又講和条約発効後も再審議されることもなく現在に至つている法律、規則である(浅井清元人事院総裁著新版国家公務員法精義四二〇頁―四六四頁参照)ことを考え、又国家公務員とはその職務の重要性においてことなるものの、ある地方公共団体の地域内において国家公務員と実質的にさほどの差を認められない役割を果すものと考えられる地方公務員にも、程度の差こそあれ国家公務員と同様の規制の必要が予想されるにもかかわらず、国家公務員法より後に成立した地方公務員法にはその制定経過に特殊な事情もなく、その規制方法も地方公務員法三六条において人規一四―七より狭い範囲の行為を規定し、その禁止する地理的範囲も当該地方公共団体の区域内に限り、その禁止の趣旨は「行政の公正な運営と職員の利益」にあることを明定し、しかも違反行為に対して罰則を置かないというほぼ憲法の趣旨にそつた規定方法をとつていることとのいちじるしい対照を考えた場合、国公法一一〇条一項一九号、一〇二条一項、人規一四―七を全体として違憲無効な規定と解する余地も大であると考えざるを得ない。しかし一方前記基準に照らした場合、国家公務員の職務の重要性、その本質が現業公務員に存するわけではないことなどを考慮すると、前記諸規定がその重要部分に瑕疵が存すると断ずるにはなお理論上疑義なしとしないので、当裁判所としては結局本件の如き被告人の行為に国公法一一〇条一項一九号が適用される限度において憲法二一条、三一条に違反し、これを被告人に適用できないものと解するものである。

四、よつて被告人に対する本件公訴事実の行為は罪とならないから刑事訴訟法三三六条前段により無罪の言渡をすることとし、主文のとり判決する。

(小森武介 鈴木照隆 安原浩)

別紙一覧表<略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例